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1)
思案橋跡
その昔ここが玉帯川(銅座川)の河口に当るため、川口橋とも呼ばれた。また、江戸吉原遊郭回りの溝をお歯黒と呼ぶところから、黒川橋と言うこともあった。
文禄元年(1592)にはすでに橋が掛かってあったと伝えられ、初め廓橋でのちに土橋となり、再び木橋となった。この橋は明治8年(1875)の火事で石橋になり、昭和に入ると橋も川もなくなり暗渠となった。一説には、ベトナムのシャムの船が長崎港で難破し、その残がいでこの橋を作ったところより、シャム橋がシアン橋になったと言うが定かではない。
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2)
思切橋跡
寄合町裏手より、花月庭園内を通り今の丸山交番横を流れ、柳小路から銅座市場付近へ続く川がある。今の福砂屋に小さな橋が掛かっていた。
もと木橋、明治20年石橋、41年鉄橋へ移り、これも暗渠になってしまった。 |
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3)
見返り柳
思切り橋横にある。
※旧市街地より、丸山遊郭への入口である。遊郭に行こうかどうか思案をし、思いきって渡っていくその想いを表している。また、遊郭の帰り道、遊女への未練がここで振り返らせたであろう。 |
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4)
丸山二重門跡
現在の丸山交番前付近に、二つの大きな門(二重門)が立っていた。
一つは遊郭の丸山寄合の門で、もう一つは船大工町の門となる。
5)
山ノ口跡
丸山町、寄合町を総称して「丸山」または「やま」と言った。その入り口の意。
ちなみに、福砂屋の広告にはこの「山ノ口」と書いてある。 |
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6)
片平町
遊郭に背を向けて家を建てることは許されず、そのため本石灰側には家がなかった。 |
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7)
大崎神社
宝正山如意輪寺金剛院、寛永17年(1640)修験者・良円が建てる。明治に入り大崎神社となる。鳥居の文字は中村悟竹の書と言われている。 |
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8)
金剛院の坂
遊郭は隔離されているため金剛院へは玉帯川よりからしか入ることが出来なかった。 |
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9)
矢柄町
思案橋より玉帯川沿いは矢柄竹が密集していたためこう読んでいた。松亭の前には戦前まで大きな岩が有り、子供の遊び場になっていた。 |
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10)
角の煙草屋・料亭加寿美跡
角の煙草屋はタバコを売っていたわけでなく、タバコは貿易品として扱われ、ハイカラでモダンな物の代名詞であった。離れの地下室と高島秋帆のかくし部屋と勝する三畳ほどの石造りの部屋があったそうだ。
戦後、芸者の置屋として、その後料亭となり、現在はビルになってしまった。 |
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11)
尾崎(森崎)
小島から見てこのあたりは岬になっていた。
春若屋→天龍閣→勝若→ホテル
山崎屋→杉本家→三菱電機家族寮→青柳
元禄13年(1700)創建の梅園社の大祭の際にはこの付近で見せ物小屋や相撲、芝居小屋が立ち並んだ。 |
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12)
丸山大辻
その名の通り、丸山から正覚寺/玉帯橋、思案橋から小島へとの交差点である。 |
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13)
不浄の坂
明治12年3月16日、丸山で大火があり、当時東南端のこの石垣(旗亭[きてい]釜屋)で止まった。
その後造られ、遊郭の不浄あるときはここを通り、小田の原に送られていった。 |
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14)
山崎屋の坂
森崎坂、住吉坂とも言う。遊郭時代は門番が置かれていた。 |
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15)
オランダの坂
丸山遊女がここを通り玉帯川より船で出島に渡っていた。
または、西洋料理福屋への道でもあった。 |
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16)
一文字地蔵
明治から昭和初期、ここに一文字鉄工所があった。 |
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17)
光寿山正覚寺
長崎最古の寺院で慶長9年(1604)、島原有馬氏の一族道智が今の寺町の浄安寺三宝寺付近に開創。延宝4年(1670)現在地に移る。
墓地には、中嶋名左右衛門他、旧花月山口家、遊郭西田屋や筑後屋の墓や、福砂屋の墓もある。 |
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18)
茂木街道(小島街道)
長崎から茂木、船により島原、天草、熊本、鹿児島へ向かう街道であった。 |
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19)
玉帯橋
油屋町橋、南石橋とも言う。慶安4年(1651)2月長崎奉行馬場三郎左右衛門利重によって掛けられた。(眼鏡橋→堂門橋→玉帯橋)昭和10年ごろ解体された。 |
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20)
高島秋帆邸跡
長崎の町年寄の高島家10代を継いだ高島四郎兵衛茂紀が文化3年(1806)が建てた。茂紀の子、秋帆は天保8年町年寄を継ぐ。長崎会所の貿易事業などを行う。また、わが国兵制改革の急務を幕府に上申した。 |
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21)
小島/雷公岡[かみなりのおか](雷岡)
八剣神社、高島秋帆邸のこの付近をこう呼んでいる。 |
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22)
西洋料理店福屋
長崎における西洋料理店の初めである。 |
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23)
中の茶屋
遊郭筑後屋の亭で、千代の宿とも言う。昭和45年(1970)に火事で焼失。 |
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24)
梅園身代り天満宮
丸山町の氏神様である。元禄時代、丸山の乙名が襲われ腹を刺され倒れた。しかし、どこにも傷がなく庭に祀ってある天神像が腹を刺され倒れていたそうである。そこから、身代り天満宮と呼ぶようになる。(現地看板参照) |
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25)
行密院(現石橋邸)
覚長山行満院(天台宗)現在は廃寺、石の手すりが面影を残す。 |
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26)
長崎検番
長崎のきれいどころの集まりです。(現18名)旧長崎芸能会 |
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28)
西田町
寄合町に西田と称する者が13軒あったところから、寄合町の別名となる。 |
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29)
玉泉神社
天台宗玉泉院 大学院照寛が開創。寛永20年(1643)に本紙屋町(現八幡町)に建て、その後、桜馬場威福寺[いふくじ]境内に移転、宝歴8年現地に移る。明治維新により玉泉神社となる。 |
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30)
勅使坂[ちょくしざか]
明治に入り、天皇の使いがこの坂を通り現在の大徳寺公園にあった佐古招魂社に向った。 |
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